魔法少女もの

 中野菜乃花は、なにでもない、極普通の女子高校生だ。クラスで孤立しているというわけでもないし、陰で虐められているというわけでもない。スカート丈だって校則の違反にならない程度の長さだし、髪だって染めたりしていない。ピアスの為に自分の身体に穴を開けたこともなければ、不純な性交渉だってしたこともない。髪の長さだって当たり障りのない普通程度だし、顔はそこそこ整っているが、比較的、普通に近いぐらいだろう。客観的にクラスで二から四番目程度だと評価されたこともある。詰まる所、ちょっと整ってるけど普通、という評価だ。携帯してる電話機器にストラップは少しつけているが、ドン引きされる程ではない。ただ、一般的な女子高校生像とかけ離れている点があるとするならば、それは、彼女が日曜早朝のヒーロー物の特撮をかかさず毎週視聴しているというところだ。リアルタイムでだ。そしてもう一つ、魔法少女ものの創作作品をかかさずチェックしているのだ。例え、二次創作でも、深夜アニメでも、年齢制限がかけられているようなものでも、それが魔法少女物というジャンルにかわりないならば、彼女に取って至高である事には変わりない。要約すると、中野菜乃花は普通の女子高校生だが、子供向けのヒーロー作品と魔法少女物がこの上無く大好きなのだ。そして、なりたいとも思っていた。
 女子高校生がヒーローに、魔法少女になりたいと思うのは悪い事だろうか?夢は寝て見ろ、と思う人も居るかもしれない、口に出す人も居るかもしれない。然し、夢を見て何が悪いのか、と中野菜乃花は口に出さずとも考える。だって、仕方がないじゃないか。テレビの中で、文を通して、面白おかしく、格好良く凛々しく、彼女たちは、彼らは、いつだって勧善懲悪を貫く。時には何かを守る為に悪となって、その意思の為に戦う。果たして、私は何かを守る為に戦ったことがあるか?変えられない、譲れない意思の為に何かをやりぬいた事があるか?
 中野菜乃花はそんな事を考えながら、学校の机に突っ伏していた。時は昼休み、クラスの半分ほどは購買部の売店に行き、人気のカツサンドや焼きそばパンを買いに走っている。中には新商品の板チョコパンだとかいう限りも無く太りそうな一品を面白半分で買いにいったものもいるだろう。さて、中野菜乃花は弁当派なのではあるが、いっこうに鞄から弁当を出さず、机に突っ伏しながら、突拍子もなく主観塗れで面白くもないヤケクソ気味の考えを垂れ流していたのはわけがあった。弁当を家に置き忘れてしまったのだ。
 実のところ、中野菜乃花は今朝、いつもより十五分ほど遅れて登校してきた。読破した魔法少女物の小説のレビューを深夜まで何時間もかけて推敲し、書き込み、眠りについたところ、寝坊してしまい、雨が降っていたので電車が遅れてきたりして、そりゃあもう遅刻しないように頑張って走ってきたのである。弁当のことなどすっかり忘れて。それから弁当が無いことに気付いたのはついさっき、午前中の授業が全て終わり、さあ食べようと鞄を開けたときだ。そりゃあもう、雷にうたれたかのように身体に電流が走った錯覚が起こり、顔も青ざめ、叫びそうになるぐらいだった。朝、寝坊したわけで、そりゃあ勿論、朝ご飯も食べてこれなかったということで、朝も昼も抜きというのは、育ち盛りの年頃にとっては死活問題なのだ。主にお腹の。電車通学なら電子マネーを使えばいい、という発想もあるかもしれない。事実、中野菜乃花の学校の購買部は電子マネーにも対応している仕様である。実は本人もそうすればいいじゃん、と考えたりした。だが、彼女の通学用に使っている定期は電子マネーが入っていないタイプのものだ。毎月、もうしくは半年毎に無料で路線事に対応するタイプの、学生向けの電車の定期である。つまり、電子マネーなどあるわけがない。望みは絶たれた。彼女は絶望した。
 兎も角、その時、彼女は窮地に陥っていた。とてつもない窮地だ。学友が憐れみの視線や、不思議そうに見たりしているがそんな事は関係なかった。顔が赤く、スカートのポケットから伸びているイヤホンで音楽を漏れない程度に流して周りの言葉が聞こえないように対応しているが関係ないのだ。お前ら、見ているぐらいなら助けろ、少しでもいいから食べ物よこせ、等と恥ずかしげもなく思っていたりするが、関係ないったら関係ない。
「――迷える少女よ。ワタクシ目に――願いを伝えなさい」
 それは、妙に甲高くていやらしい雰囲気を纏った、男性的な響きの声だった。
「ふぇ?」
 その声を察知して、素早く周囲を見渡しても、話しかけてきた素振りもない。何故か弁当を守るようにしている奴がいたりするが、私はそんなに食い意地はってないと怒鳴りつけてアームロックかましてやりたい、が、今はそんな事はどうでもいい、と中野菜乃花は周囲の確認をし終えると少しばかり、さっきの突然聞こえた声について考える。校内放送で放送部がしかけたイタズラか?と考えたが、それならば周りはざわざわと喧しくしているはずだ。では、誰かが近寄ってきて耳元で囁いたか?それはないだろう。それを危惧して、さっき、周りを確認して、それはないと結論が出たし、そもそも私は音楽を聴くことで心の安定を保っている状態だ。少し囁いた程度では聞き取れない、はず。そう思考し、最終的に彼女は幻聴だと断定した。あまりにお腹が空き過ぎて、脳がどうにかなってしまったのだろう、と。
 さて、そんな事を考えているうちに空腹感は更に増していくばかりで、限界近くに達する寸前であった。中野菜乃花は机に突っ伏した。だらしない、とは思う。然し、限界近いのだ。本当に。私が理性を持たない獣的な動物であったならば、それはもう、餌を探して周囲を駆け回っているレベルであろう。と、中野菜乃花がまたくだらない事を考えながら、音楽を聴いて空腹感を紛らわしていると、首元にひんやりとした触感を受け、思わず、奇声をあげてしまった。
「ふわぁっ!?」
「ふわぁっ、て何だよ。ふわぁって、あっはは!菜乃花は相変わらず面白いな」
 中野菜乃花の机の上に、恐らく自販機で買ったばかりであろうキンキンに冷えた飲料水と、購買部で人気の焼きそばパンを置いて、友人の一人であるユキ――結城由紀は愉快そうに笑った。短く切り揃えた髪と、いつも愉快そうに笑っている彼女にお似合いの笑窪、時折、口から覗かせる八重歯が印象的な、少し男勝りの可愛らしい女の子だ。スタイルも抜群で、男女ともに偏見なく楽しそうに接する事から、密かに男子にも女子にも人気のある美少女である。中学の時に読者モデルをやっていたとかやっていないとかそんな噂もあったりする。
「んん?」
 ふと、机の上を見ると、必要な栄養分とエネルギーをサッと得られるという触れ込みのゼリー飲料がそっとおかれていた。誰だろうか?と、またもや周囲を見渡すと、斜め前の席の鈴村のどかさんがいそいそと席に座ろうとしている。小動物的な雰囲気を身に纏う、三つ編み眼鏡の気の弱そうな少女だ。きっと、この子だろう。最近、何かと中野菜乃花に気を遣ったり、密かに親切にしてくれている。何故、してくれているのかは分からないが、有り難い事このうえ無いというものだ。今度、話しかけてみようか。と、中野菜乃花は思案しながら、ゼリー飲料はデザート代わりにすることにし、先ずは焼きそばパンに手を付けた。
「いただきます」
 パン、と手を合わせ。ささやかだが、いつもより、どこか満足に感じる昼食を食べるのであった。




 その日の帰り道、中野菜乃花は何時も通り、イヤホンから音楽を垂れ流しながら下校していた。危ないとかどうとかは、もう慣れているので大丈夫、だと思いたい。これまで、一回も目立った事故は起こしていないので大丈夫なはずである。と、言い訳染みたことを考えながら、彼女は軽快に足を進めていく。
 ふと、彼女は周囲に少し違和感を持った。下校したのは昼過ぎの16時程、現在の季節は春と夏の中間あたり。どうも、まだ陽が沈むのは早い時季ではないはずなのに、少々、周りが暗く感じたのだ。それに、結構、都会であるはずだし、昼の商店街は人が多いはずなのに、自分以外の人を見かけない。怪しい。あまりにも怪しすぎる。もしかしなくても怪奇現象なのではないのか?某駅的な何かであろうか?もしくは某異次元のおっさん?これから某島事件とか起こっちゃう的な?少し、サブカルに片足突っ込んでる彼女は、そんな場違い染みた事を考えていた。
「う~む……」
「これからあ、何が起きるんだろおう?でしょうかあ?」
 自分の真後ろから、気配もなく聴こえてきたそれは、昼間に幻聴だと断定した。妙に甲高くていやらしい雰囲気を纏った、男性的な響きの声。
間延びした口調が更に胡散臭さに拍車をかけていた。
 後ろを向くと、そこにはブリティッシュな帽子をかぶり、不自然な程に煌びやかなショッキングピンク色の紳士風味のスーツと、これまた不釣り合いな金色のベルトにチェック柄の短パン。比較的整っているというのに、ピンク色の口紅で染められた唇と、貼り付けられたいやらしい笑みで台無しにされた顔。遺伝子的に奇跡でも起こったのかと疑いたくなるエルフ耳で、青眼金髪の外国人風の低身長の男が、恐らく、日傘であろう閉じられたものを手に持ちながら、ポツンと佇んでいた。
 中野菜乃花は口をポカンと開け、眼をパチパチとさせる。
「ふうむぅ、あまりにもワタクシ目の風貌が非現実的すぎてえ、少しぃ理解に苦しんでいる御様子でえあられる様ですなあ?では、自己紹介をしましょう――」
 そういうと、男は紳士然とした、何故か様になっているのに、様になっていないと思ってしまう礼を一つして。
「ワタクシ目の名前はあ、ふむう。諸事情により、答えられぬのでえ、こう、お名乗りしましょう。ワタクシ目はメフィ、と最近、親しいものからはあ称されていますう。貴女の夢を叶えるものでえすぅ」
 メフィと名乗った男は、そう告げると、今度は日傘を開け、軽快そうに、愉快そうに話し始めた。
「人々の――人間の夢、欲望というのはあ、非常に、誠に、痛快な程に愉快で面白く、素晴らしいぃ!ワタクシ目は、心底そう感じているものでありますぅ!そしてえ、貴女の夢をぉ、僭越ながらあ、非常に僭越ながらあ、誠に申し訳ないのですがあ!ワタクシ目、力を以て覗かさせて頂きましたあ!いや、ホントぉおにぃ!申し訳なあいぃ!然し、ワタクシ目、貴女様の夢、誠にぃ、凄まじくう、素晴らしいものだとお見受けします!ヒーローになりたい!魔法少女になりたい!イヤ、ホント、素晴らしい!凄い!驚き桃の木、ナントカの木い!ってやつでございますなあ!はっはっはあ!」
 そう愉快そうに語る男――メフィは眼を輝かせており、心の底から賞賛しているのだろう。事実、日傘を振り回しながら面白おかしくダンスを踊っている。
「でえぇ、でございましてねえ。ワタクシ目、貴女の願いを一つう、叶えたいと思っておりますのでございますぅ。どうぞ?ワタクシ目に貴女は命じるだけで良いのですぅ。夢を、叶えてくれと」
 最後の方は低い声で、真面目そうに彼は言った。ならば、恐らく、嘘偽りはないのだろう。
人間、嘘を吐くときは声が上ずるものだ。相当に、嘘を吐くのが上手いか、根本が捻くれているけど、心の底からそう感じているとか、そういった事が無い限り。
「うーん。悪いけどさ、本当に悪いけど。断らせてもらうよ?」
「は?」
 メフィは露骨に顔を歪ませ、そう返した。本当に疑問に思ったのだろう。間延びした独特に口調も無かった。
「如何して?」
 続けて、メフィは、そう問うた。
「だってさ、そういう力ってのは、得ると同時に日常からは遠ざかっちゃうものだよね。私は、ヒーローになりたいけど、魔法少女にも凄く、すごーくなりたいけどさ、でも、今の日々を大事にしたい。大切にしたい。願わくば、守りたい。これは、このお願いは、ヒーローとかになりたいっていう私の願いと同じくらい、いや、もっと上なんだ。だから、貴方が何者かは知らないけど、お断りします。でも、きっと私がヒーローになりたいって願えば、本当に叶えてくれたんだろう貴方には――」
 彼女が語り終える前に、それより先に、彼女の脇腹を、後ろから異物が貫いた。痛みに耐えられずに倒れ込み、思わず、四つん這いになって、顔だけ後ろを確認する。
 そこに居るのは、お姫様然とした衣装に身を包んだ、三つ編みを解いた鈴村のどかだった。眼鏡をかけていなければ、誰だか分からなかっただろう。
彼女の構える長剣の先端は、血に包まれていた。
「なんで――貴女は、私と同じだって思ってたのに。あの、ストラップ持ってたから、分かってくれるって、友達になれるって、仲間になるって、思ってたのに」
 ポツリ、ポツリと鈴村のどかは言葉を紡ぐ。それは悲壮に包まれていて、眼鏡越しに見える、彼女の瞳はどこか憎しみを孕んでいるように思えた。
「裏切りもの」
 そう、静かに呟くと。鈴村のどかは中野菜乃花の頭を刎ねた。否、刎ねようとした。中野菜乃花が四つん這いの態勢からフラフラと立ち上がり、その腕を掴む。鈴村のどかは、立ち上がらないと思っていた、無抵抗なまま死んでゆくと考えていた彼女がアクションを見せ、驚愕した。あまりの驚きに、剣を落としてしまうぐらいには。
「ごめんね」
 ポツリと、中野菜乃花は言葉を漏らした。恐らく、貫かれた痛みや、様々な要因で、朧気であろう思考状態から放たれた、その言葉。その一言は、たった一言は、それだけで鈴村のどかの驚きを増さらせるに至る。
「ごめんなさい。鈴村さん。あのストラップって、私が鞄に着けている魔法少女もののアニメのストラップだよね。だから、貴女は私を仲間だと思った。友達になれると感じた。私は、そんな経緯で私を思ってくれていた鈴村さんに配慮できなかった。貴女の事も考えられなかった。今起こっている事を予想できなかった。なにもできなかった。なにも考えなかった。なにもしようとしなかった。だから、ごめんなさい。すみませんでした。本当に、申し訳ない」
 涙と血を流しながら、彼女は謝罪を繰り返す。きっと、それは、極限状態で導き出された、たった一つの生き残る道。自分を殺められるだろう者に言葉を尽くすことで、許してもらうという行為。だけど、極限状態であるからこそ、それは行き過ぎてしまった。考えが足り過ぎてしまった。ただただ、謝罪の言葉を繰り返しているそれは、さながら機械のようで。不気味。
 そして、あまり心の強くない鈴村のどかを驚愕と相まって恐怖に陥らせるには十分であった。
「な……なんなんですか、貴女は。裏切ったと思ったら、今度はごめんなさいごめんなさいと壊れた玩具の様に繰り返してえ!」
「ごめんなさい」
「しゃ、謝罪はもういい!他に、他に言うことは無いんですか!」
「ごめんなさい」
 ただ、淡々と、手を握りながら、血と涙を流しながら、己に怒っている鈴村のどかに対して、中野菜乃花は謝罪の言葉を述べる。その、不気味な様子を、傍目から見ているメフィは爆笑していた。
「もう、もういいです!メフィ、行きましょう!こいつはここに置いておきます!そのうち、死するでしょう。手筈通り、存在の抹消は行っておいてください!」
「ええぇ!ええぇ!やりますともお!全く以てえ、つまらないと思ったらぁ、とても面白いものをお見せていただいたあ!やはり、極限状態の人間というのは計り知れないぃ!面白おいい!最ッ高ォお!でございますなあ!」
 そんな言葉を遺して、手を握られていたはずの鈴村のどかと、さっきまで爆笑していたメフィは何処へやら。一瞬にして消失した。
 置いて行かれた中野菜乃花は、誰も居ない暗がりの、知っているはずなのに知らない商店街で、赤と透明な液体を流しながら死へと追いやられていく。隠し切れない鈴村のどかへ感じた恐怖からか、もしくは、唐突過ぎた、理解できないことが起こり過ぎたからか。彼女は失禁した。
 ただただ、彼女は言葉を尽くすしかない。それしかできない。それ以外、もう考えられなかった。涙を流しながら、膝をついて、空を仰ぎ見ながら。ただ、壊れた音声を出す機械のように、言葉を垂れ流すしかできない。様々な液体で濡れたスカートと下着のことなど考えられなかった。考える余裕もなかった。
 それから、同じ場所で、同じ格好で、言葉を繰り返しながら何時間が経ったか。中野菜乃花の喉はあまりの痛みに音を出すことはできなくなり、彼女は暗がりの空を、光の消えた瞳でぼーっと見つめていた。思考がクリアになった彼女は、ふと、これから自分が死ぬ要因となるだろう腹の傷に触れる。冷たい手は、赤く染まった。
 全てが自分のせいだった。自分が死ぬのも。彼女が怒ったのも。
 もしも、私が鈴村のどかの好意に気付いていたら。もしも、私が鈴村のどかと積極的にコミュニケーションを取っていたら。もしも、私がメフィの勧誘に好意的に頷いたら。もしも、私がいつもの通学路を通ったら。もしも、私が今日、学校に行かなかったら。もしも、私が魔法少女もののストラップを鞄に付けていなかったら。もしも、私が魔法少女が好きでは無かったら。もしも、私がヒーローに憧れていなかったら。もしも、私という存在がこの世に存在して居なかったら。もしも、もしも、もしも――。幾つもの過程が中野菜乃花の頭の中を過る、でも、全てが考えに至るのに遅すぎた可能性。在り得たかもしれない未来は、もはや、在り得ない幻想でしかない。全ては彼女の手から離れ、彼女は置いていかれてしまった。落としてしまった。
 確かに、考えるのは遅すぎたかもしれない、行動に移すには遅すぎたかもしれない。全ては遅すぎたのかもしれない。全ては偽善かもしれない。自己満足でしかない。だけど、それは誰だって、誰も彼も、かつて私が憧れたヒーローの始まりは、正義に至る過程は似通っていた。彼らはいつだって、悲劇を背負っていた。でも、悲劇の果てに誰かの笑顔を掴んだ。だから、私も、頑張れば掴めるかもしれない。朧気な思考の中で、中野菜乃花は結論に居たり、彼女の思考はクリアになる。駄目だった、だけど、今度はやってみせる。彼女に、鈴村のどかに、謝って、許してもらおう。そうしよう。お互いが笑顔になれる、そんな結果を信じて。
 暗闇に沈みゆく何処かの、正体も分からない世界で、彼女は夢を見ながら、意識を暗転させていった。




 男は、所謂、非現実的なものを研究していた。魔術、邪法、外法、魔法。様々な呼び名のある、非現実的で、ありえないはずの、然し、確かに存在する技術。男は、それをバグ技と称する。バグ技――裏ワザとも称される、所謂、ゲームのデバックミスで生まれる特殊なコマンド。男はそれを用いることができた。ふとしたことからその存在を知り、好奇心の赴くままに、仕事を探すことなんかやめて、フリーター生活を片手間に研究している。家族とは距離を取られ、近所では人間の屑扱いされていても、そんなことそっちのけで男はのめり込んでいた。だから、今日も、男はバグ技の塊の世界に足を運んでいた。反転世界、壊れた世界、世界の果て、鏡の中、伏せられた世界、影の国、捨てられた場所、様々な呼び名を持つ暗闇の場所。なにものも居らず、唐突に、定期的に侵入者の生命を奪うような現象が起きる危険な領域。ただ、時たま、自身の様なこういうものに熱心な輩か、何らかのものに巻き込まれて連れてこられた一般人が迷い込むことがある。だから、偶然見つけた死にかけの少女が、安らかな寝息をたてながら今にも永久に眠りそうなのを見つけても、比較的、無関心であった。もしも、ふと、覗き込んだその顔に多大な違和感を覚えなければ、そのまま放置していたかもしれない。
「あ、れ?」
 男――結城幸也はその少女に対して、ぽっかりと切り取られた紙の一部分のような印象を感じ取った。

  • 最終更新:2016-04-27 22:23:24

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